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石田三成の様に!

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昨日から稲の育苗ハウスにドバドバ水を入れております。
これぞプール栽培。


しかしこれはまるで・・・・水攻めではないですか!


堤防を築け! 堰を切って激流を呼び込め!
全てを押し流せーーー!(いや、それは困る)
P4140012.jpg

実際は育苗箱の周りに板をならべ、ビニールを敷き詰め、
用水路の水をポンプアップします。 堰など切りません。

今後、稲の成長に合わせ更に水位を上げて行きます。
こうしてプール育苗にする事で、水やりなどの作業を省力化でき、
更に病気に強い健苗を作ることが出来るんだそうです。





しかし水攻めって言うと以前に読んだ「のぼうの城」の
石田三成の忍城攻めが記憶に新しいです。

で、ちょっと先ほど調べてたらそれに関する非常に興味深い記事が・・・・!

なので「続きを読む」からは忍城戦に関する記事をちょこっと書きます。
農業とぶっ飛ぶほど関係無い内容なのですが、
歴史好きの方は読んでみて下さいませ。
そもそも「のぼうの城」や「忍城の水攻め」を知らない方の為にざっと概要を。



時は戦国時代。
豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして全国の武将を率いて、
小田原を拠点に関東に勢力を広げる北条一族の征伐に乗り出します。

その際に秀吉の命を受けて石田三成が2万以上の兵を率いて、
北条の支城である忍城(現在の埼玉県行田市)に攻めかかります。

忍城には3千人程度の兵しか籠城しておらず、
三成軍との戦力差は圧倒的なのですが固い守りでなかなか城が落ちません。

そこで三成は28キロにも及ぶ巨大な堤防を築き、忍城を水攻めにしようとします。

10万人とも言われる人足を集め、大金を使い水攻めを行う事はできたのですが、
やや高台にある忍城は完全に沈むことはなく、むしろ敵に堤防を壊されてしまい、
氾濫した水で味方に大きな被害が出る始末。


結局、圧倒的な戦力差がありながらも、最後まで三成は城を落とす事が出来ませんでした。


この事は「三成は戦が下手」という汚名となり、
後に起こる関ヶ原の合戦でも家康に諸将の人気で負けてしまう要因の一つとなりました。


ざっと概要はこんな感じです。





しかし!!
私の読んだ記事ではこんな事が書いてありました。

==================================

戦場に赴いた三成は、その地形を見てとても水攻めが出来る場所ではないと悟った。
しかし、秀吉が頑なに水攻めに拘った為にしょうがなく行ったのだ。

派手好きな秀吉は全国の武将が集まるこの戦で、
自分の権力・財力を誇示する為にこの水攻めを行おうとしたのであろう。

だが結果は失敗し、秀吉のメンツを守る為に
その責任はすべて三成が被ったのではないか・・・・。


裏付ける理由としては、
秀吉が三成に対して細かく指示を書いた伝書を送っていたことや、
三成と一緒に戦場に立っていた大谷吉継や長束正家といった武将達が
その後の関ヶ原でも三成と最後まで運命を共にした事などがあげられる。

三成が本当に戦の出来ない愚者であれば、
近くでその働きを見てきた大谷などはその後も一緒の戦場に立つ事はないハズだ。

=============================


なんと言うことだ。



もしこれが事実だったなら、色々考えてしまいます。
・もし、三成が秀吉の変わりに汚名を被っていなかったら・・・・
・もし、三成が自分の思ったとおりに戦略を組んでいたら・・・・


【歴史に「もし」は無い】なんて良く言いますが、
この「もし」があったら今の日本の首都は大阪になっていたかも知れませんね。





なんてことを稲を水攻め(プール育苗)にしながら考えてた一日でした。


ここまで読んだあなた!
さては、、、歴史好きですね!


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コメント

Re: 石田三成の様に!

三成が天下とったとして

その死後は

もちろん島左近が継いで

つまり鹿児島も首都になった可能性が・・・

あるわけないか!

有職30歳@福岡さんへ

いや、歴史は些細な事で、
どう転んでいたか分かりませんから!

ちなみに、島左近は鹿児島ではなく奈良では?!
違ったらすいません。汗

Re: 石田三成の様に!

>ちなみに、島左近は鹿児島ではなく奈良では?!

本当ですね~^^
無学ですいませんでした。

島左近でググッたら
薩摩のサの字もでてきませんでした。

島左近→島津→薩摩藩→鹿児島と
勝手なイメージで30年生きてきたことが判明しました。

一つ勉強させていただきました。
ありがとうございました。

Re: 石田三成の様に!

壮大な一日でしたね。

いろいろコロコロ転がって、
のぼう様が光成を討っていたら、
行田が日本の中心になっていたかも……!!

YAMAMOTOさんへ

そうだね、行田が日本の中心に・・・・ってないでしょ!
のぼう様の3000人の軍で太閤秀吉を討つのは不可能に近い。汗

しかし!
歴史ロマンはやっぱりいいね。




Re: Re: 石田三成の様に!

いや、とんでもないです。
島津と言えば、去年の大河の篤姫が懐かしいですね。
私は数年前まで鹿島アントラーズは鹿児島にホームがあると思ってました。汗

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300年続く越後の米農家、石井農園です。新潟県弥彦村にてお米・野菜を育てています。

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